竹久夢二

竹久 夢二 (1884〜1934) 

大正ロマンを象徴する画家、詩人、岡山県出身

明治末から昭和初期に活躍した大正ロマンを代表する芸術家。

”夢二式美人”と呼ばれる美人画や詩 絵本 随筆 歌人という多才さで人々を

魅了してきました。

書籍の装幀、広告、雑貨など広く手がけるデザインの草分け的存在。

1914年(大正3年)に東京日本橋に“湊屋絵草子店”を開店し

夢二作の木版画、千代紙、絵封筒、浴衣、帯、半衿、雑貨などを“可愛い“とい

う言葉で紹介し、若い女性に受け入れられ愛される。

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 9月16日 岡山県邑久郡本庄村に生まれる 本名、茂次郎(もじろう)

明治32年(1899)16歳 神戸中学校に入学。在学8ヵ月で家事都合により中退。明治34年(1901)18歳 上京。

明治35年(1902)19歳 早稲田実業学校に入学。

明治38年(1905)22歳 同校専攻科に進学。『中学世界』に応募したコマ絵「筒井筒」が第一賞入選。早稲田実業専攻科を中退。

明治40年(1907)24歳 岸たまきと結婚。たまきをモデルに「夢二式美人」生まれる。

明治42年(1909)26歳  最初の著作『夢二画集 春の巻』刊行。

明治43年(1910)27歳 エハガキ『月刊夢二カード』第一集発行。少女』誌上に、さみせんぐさの筆名で「宵待草」の原詩が発表される。京都岡崎公園の京都府立図書館で「第一回夢二作品展覧会」を開催。

大正2年(1913)30歳『どんたく』刊行、「宵待草」が現在の詩形で発表される。日本橋区呉服町に「港屋」開店。第一回港屋展覧会を開催。セノオ楽譜「お江戸日本橋」を手はじめに、昭和に及ぶまで270余のセノオ楽譜表紙の装幀をする。

 大正7年(1918)35歳 京都府立図書館で「竹久夢二抒情画展覧会」を開催。神戸市下山手通キリスト教青年会館で「竹久夢二抒情画展覧会」を開催。「宵待草」がセノオ楽譜から出版される。

  大正13年(1924)41歳 都新聞に絵画小説『秘薬紫雪』を連載。都新聞に絵画小説『風のやうに』を連載。東京府下荏原郡松沢村松原790に自ら設計したアトリエ付住居「少年山荘(山帰来荘)完成。
 昭和2年(1927)44歳  都新聞に自伝絵画小説『出帆』を連載。横浜港より秩父丸で出帆、ホノルルに2週間滞在の後、龍田丸でアメリカへ向かう。カーメルのセブンアーツギャラリーで展覧会開催。

 昭和7年(1932)49歳  カリフォルニア大学ロサンゼルス校教育学部、サンピドロのオリンピックホテルで個展開催。サンピドロ港よりタコマ号で出帆。パナマ運河経由で10月10日、ドイツのハンブルグ着。船中でビール箱の蓋に「FAREWELL AMERICA」を描く。欧州各地を廻る。

 昭和8年(1933)50歳  ベルリンのイッテン画塾で日本画講習会を開く。靖国丸で神戸に帰着。帰国。病悪化し病臥。

昭和9年(1934)51歳 最後の装幀本『祇園囃子』(長田幹彦著)が刊行される。

午前5時40分「ありがとう」の言葉を残して逝去。]

Takehisa Yumeji- Gallery