小村雪岱

小村雪岱(1887~1940)

大正から昭和初期にかけて装丁、挿絵、舞台美術などの分野で活躍した多才な画家です。
小村雪岱の作品はデザイン的センスと色彩と構図の素晴らしさであり、まさに現代の「デザイナー」という言葉の先駆者です。

明治20年(1887年)埼玉にて生まれる。本名は泰助。

雪岱は16歳の時に画家を志して日本画家に入門する。

明治37年1904、東京美術学校日本画科に入学。下山観山に学ぶ。

大正3年1914 泉鏡花の日本橋の装幀を行ない、鏑木清方と並び、多くの鏡花作品を装幀 木版多色摺りによる挿絵の仕事を手がけた。

一方、舞台美術の分野でも異才を発揮し、大正13年(1924年)の『忠直卿行状記』から舞台装置の世界で独自の感覚を発揮、『一本刀土俵入』『大菩薩峠』など、数多くの作品を制作。溝口健二映画美術の担当などをこなして、舞台装置の世界で自ら一時期を画した。